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9条と永世中立国

JUGEMテーマ:ニュース


日本国憲法9条の問題があらゆる場面で浮上してきており、もはや見逃すわけにはい
かない、戦後の日本のあり方を考えるに際して最も大きな問題になっているといえる。
9条は戦争の永久放棄や戦力を持たないことを示したものだが、実際には現在の日本
には「自衛隊」と称した「軍」が存在している。そして、彼らが持っている力は間違
いなく、「戦力」だとウシオは思う。ここが、問題だ。

先日、知り合いの方のコネクションで運よく自衛隊が毎年御殿場で行っている「富士
総合火力演習」に行ってきた。チケットは駐車場付きや演習見学場所の席の差異で数
種類あるが、一番高いものではその競争率は26倍にもなるという。自衛隊が、という
よりは、実際に実弾が撃たれるところなどを見てみたいなど、武器のほうに興味があっ
たために友人を誘って見学に行った。

そこで行われている風景を初めて見た人が、驚かないわけがない。今の日本は平和で、
実際に拳銃が発砲された音を聞いたことがある人のほうが圧倒的に少ない。ましてや、
自衛隊で使うのは自動小銃などではないのだ。迷彩柄の戦車やヘリコプターから発砲
される実弾の音は体を震わせるだけでなく、地面や視界をも震わせた。友人もウシオ
も、目が点になったし、口が開いて閉じなかったし、本当に驚いた。豪雨の中で行わ
れた火力演習終了のあと体が震えたのは、寒いからだけではなかっただろう。

あの実弾が実践で使われるとき、その先には何があるのか。演習で番号の札の付いた
土地が目標になっていたあそこに、実践ではなにがあるのか。そこに人の命は一つた
りともないのか。人間を殺さない物なのか。人を殺して、はたしてそれは自衛なのか。
そしてそれは、戦力ではないのか。

おそらく、自分の命を守るためには、人の命を奪わなければならない。自衛という言
葉で大義名分を作り出し、言い訳をこさえたとしても、人を殺せばそれは殺人だし、
国家同士でそれを行ったのであれば、それは戦争なのだ。人間同士でトラブルが起き
たとき、自分が殺されそうになったから人を突き飛ばしてその人が死んでしまった場
合、それは不可抗力で正当防衛なのかもしれない。では、第二次世界大戦で真珠湾に
先に攻撃を仕掛けた日本は犯罪者で、それに応答し、自分たちが殺されないために日
本と戦争をしたアメリカのそれは、正当防衛なのか。原爆で死んだ人たちは、しんで
当然なのか。

本当の意味で「自衛隊」となるには、自衛隊が持っていいツールは盾だけである。矛
を持ち、使った時点で、自衛隊という国家が持つ組織においてそれは、戦争になって
しまう。9条が成立するには、日本の国土の周りにベルリンの壁、あるいは万里の長
城の道中に連なる屈強な壁を作り、侵入に備えて絶対に壊れない壁と、盾の使い方を
マスターした、まさしく「自衛隊」を持つしか、あり得ないのだ。現在の日本は、9
条に反して戦力を持ってしまっている。

つまり、9条に関する問題の解決策は、9条を改正し、日本に戦力、すなわち自衛隊が
あってもいいことにするか、現状の自衛隊を廃止するしかないのだ。答えは明白で、
どちらかを選ぶしかないのに、GHQの指図で作られた日本国憲法の要を改正する勇気
もなく、自衛隊を廃止する勇気もないのだ。

日本の行く先には戦力を持つ国家か、戦力を持たない国家、どちらかが必ずある。今
の日本は決まりでは戦力を持たないが実際にはあるという、非常にあいまいな現状。
そんな中、日本の進む先にあってもいいかもしれないと思う政治形態があった。現在
世界でただ一つの国が実施し、その国すら続けるのが危うい、「永世中立国」である。

永世中立国とは、国際関係で対立している二つ、あるいは複数の国のうち、どの国に
も付かない、協力しない、賛成しない、優劣をつけない国のことをいう。ある戦争に
おいて、戦争をしている国のどちらにもつかない立場の国のことを中立国と呼ぶが、
これを永久に続けることを国として宣言しているのが、永世中立国なのだ。

永世中立国の特徴としては、以下の 点があげられる。

・多国間との条約により、永世中立を取り決めている
・自衛のための武力行使は行う。武装は可能で、戦争能力をはく奪されるわけではな

・自衛の場合を除いて戦争には参加してはいけない
・戦争の原因となるような関係を他国と結んではいけない(同盟など)
・平等保全、独立を他国(中立保証国と呼ぶ)から保障されている

現在、この永世中立国として認められているのはスイスのみである。フランス、イタ
リア、オーストリアに囲まれるこの国は、どの国からもねらわれた。身の危険を感じ
たスイスは、国として中立の立場を選んだ。1815年にウィーン条約で永世中立国となっ
た。

上記の特徴は、日本の現状を明確に取り決め、明文化した場合の行先とまったく同じ
ではないだろうか。自衛しない国は滅びるか、侵略されるしかない。しかし、自衛の
場合には必ず人を殺すことになる。だとしたら、自衛の場合のみ、人を殺してしまう
が、自分たちからは絶対に戦争をしない、のである。矛盾した曖昧な日本の行き先と
して、正しい道だと思う。スイスには実際、強かな自衛軍がいて、世界でもレベルの
高い戦力をもっているそうだ。

しかし、現実として日本がこのまま永世中立国になることは絶対的に不可能なのだ。
なぜか。アメリカがいるからだ。おそらく現在の日本がアメリカの傘下にあり、米軍
の日本国内滞在を許し、仲よくしているうちは、かつての敵であることを忘れて、日
本と仲良くおままごとをしていてくれるだろう。しかし、この「おいしい」状況は、
絶対的に日本がアメリカの味方であることを行動で示し、実際にそうだから続いてい
る状況なのである。

つまり「中立」という立場をとり、ロシアとアメリカが戦争をやろうとも、中国とア
メリカが戦争をやろうとも、日本はどちらにも関与しませんよ、などという立場をと
ろうものなら、アメリカが日本を目の敵にしないはずがないからである。日本は成長
し、強い国になった。世界でも注目されているし、頭のよさや技術レベルでは、単純
なアメリカ人より優っているだろう。手放せば、アメリカに勝るとも劣らない、厄介
な国になり、手を焼くことは間違いないのだ。

日本の進むべき道は、9条を改正し戦力を持つか、9条に従って自衛隊を廃止し戦争が
仕掛けられても本当の意味での防衛しかしないことにするか、アメリカを捨てて永世
中立国となり、アメリカの攻撃を迎え撃つか、どれかだろう。現状では、もし本当に
どこかの国に戦争を仕掛けられても、アメリカに守ってもらうしかないのだ。自衛隊
を戦力として使えば、今度こそ本当に憲法違反になるのだから。解決しないではいけ
ない問題ではないだろうか。

at 15:22, ウシオカスミ, 考察

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中学校の体育に武道取り入れ

JUGEMテーマ:ニュース
2,3年のうちに、中学生の体育の授業に武道を取り入れる計画があるらしい。
ウシオの高校では剣道、柔道、居合道、弓道の四種類の武道が学べるように設定して
あり、このうち柔道以外の三種類は履修した。
大変面白く、一番の醍醐味は、日本の武道精神を学べることだと思う。
しかし、高校生と中学生は顕著に違う。精神年齢的なものもあるし、一番大きいのは
義務教育か、義務教育でないか。この問題について考えてみよう。

日本の伝統文化というものか数多くあるが、それらは私たちが体で、あるいは心で以っ
て日本の精神や魂を知ることができるものである。その中で、武道というのはその最
たるものなのではないだろうか。

かつて武道が繁栄した時代、おそらく日本には今はない、殺生が行われたいたはずで
ある。人か、自分か、名誉か金か、何かを守るために、人をあやめる必要があった時
代、実践として、武道が必要であった。私たちが模擬刀を使って体育の授業の一環と
して適当にやるのとは違う、真剣さがあった。それは、人の生死を左右し、命をも奪
うという責任があったからである。そして、人は命について考えるとき、本物の精神
というものを知り、学ぶことになる。ほかの文化にはない真剣さと、一生を左右する、
命という重さからきた、いわば意図されない日本の精神が、武道には宿っているので
ある。だから、武道を学ぶことは、日本の命に対する精神のあり方を知ることなので
ある。

そういう意味で、私たち日本人にとって、武道を学ぶことは絶対に必要なことである。
意味のないことでは決してないのだけは、確かである。だからそういう視点で中学生
に武道を学ばせることは、いい事なのかも知れない。

しかし、ここで浮かんでくる問題がある。義務教育における体育授業の存在理由の問
題である。

義務教育における体育授業で、児童や生徒になにを学ばせるのが目的なのか。まずは、
運動し、汗をかくことの喜び。それから、協力して動くチームワークを学ぶこと。そ
して、運動が健康にな何故必要なのかを、知ること。それらは、決していすに座って
学べることではなく、体育館に行き、面倒くさくても体育着に着替えて動いてこそ、
学べることなのである。きっと、跳び箱やサッカーなどの色々なスポーツをやり、技
術を身に着けることは、体育授業の目的の真髄ではない。ただ、色々なものに触れる
ことで、あらゆるジャンルの精神を学び、筋肉を使い、コミュニケーション方法を知
り、そして、未来に向けて「こういうスポーツもあるんだよ」という可能性を示すた
めに、ジャンルが多くなるだけなのだ。

先に述べたように、高校で武道の授業が成り立っているのは、高校生がすでに義務教
育9年間で、体育授業で必要とされる項目をある程度理解しているからである。つま
り、論点はここである。中学生に、果たしてその余裕があるかどうか、である。

もし本当に体育授業に絶対に必要なのならば、今持ち上がっている計画は、中学校の
授業に武道を取り入れるものではなく、小学校・中学校の授業に取り入れるものになっ
ていたはずなのだ。今まで武道が義務教育から敬遠されてきて、今なお小学生にこの
計画が該当していないのは、彼らにその余裕がないからである。彼らに今必要なのは
体を動かすことで、運動を知ることであり、前述したが、それは動かないと学べない。
残念ながら、武道というのは、往々にして激しい運動や、基礎体力の向上のためのス
ポーツとして選択するには、向いていないものなのである。そして、日本の伝統文化
の精神を学ぶには、言語的にも、人間形成の精神年齢的にもまだ早い、という理由も
ある。

しかし、それは小学生の話である。昨今ふざけた中学生が増え、ウシオの母校でも教
師が病院送りになったり、教室の外から消火器が投げ込まれたりなどおかしなことを
しでかす中学生が増えている。しかし、そのような詰まらない中学生ばかりでなく(
つまらないのは教師のほうかもしれないが)、部活動に励み、武道をしっかり学んで
いる生徒もいる。部活は体育の授業外ではあるが、成立しているところがあるのだ。

真剣に人の命を考え、人の命が何なのか知っていた時代とは一転して、今理不尽な犯
罪が増えている。自分の命が危ぶまれているわけでも、誰か大切な人が危ないわけで
もないのに、ムカついたからという理由で人を殺すのだ。もちろん、そういう人ばか
りではないが。この時代の先にも、新しい時代がある。そこで台頭していかなくては
ならないのは、ウシオたち高校生を含めた、若者なのである。未来ある、という言い
方をするのは個人的には嫌いなのだが(大人にも未来はあるぞ)、まさしく未来ある
若者の教育のあり方を再び考え、再構築するに際して、もしかしたら日本の武道を体
育に入れることは、いいことなのかもしれない。そこで簡単に命の重さを学んでくれ
る若者ではないが、少しでも好転すれば、それはよいことである。

あるいは中学生にも、武道を学ぶ余裕はないかもしれない。しかし、最高でもあと3
年もすれば高校生になるのだ、という言い訳を以って、ここはひとつ、中学生に武道
を学ばせてみるのも手だと思う。問題は付きまとう。しかし、長期間学んでこその精
神論を、日本の伝統文化から早いうちから学ばせることは、必要なことだと思う。

蛇足だが、個人的に中学校で体育として学ぶなら合気道がいいかと思う。あるいは柔
道か。合気道は(前の話とまったく矛盾して申し訳ないが)、若干激しい運動もある
し、人をあやめるのではなく、自分を守る武道だからだ。これで、日本の武道界が栄
えれば、一石二鳥だなぁと思う、今日この頃。

 

at 19:07, ウシオカスミ, 考察

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